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一人一人が自覚するべきこと

いつか見た風景はもう見られないかもしれない。

そう考え続けてきた事が現実となった今、色々な事が悲しい。


世間では「要るもの」「要らないもの」の差別合戦、「自警団」という過剰な反応者、ネットでの暴言…etc

見るたびに疲れるし悲しいし怒りを感じる。

私は要らない仕事は無かったと思う。

何一つ。

夜の営業を必要とする人がいるからあった訳だし、美術・芸術・芸能(映画・音楽・演劇・テレビ)は疲れた心を癒したり、励ましてくれたり、和ませて未来へ進む力をくれている。娯楽やエンターテイメントは生活必需品とは必ずしも言えないけれど人生には必要なものであると思う。直接的に目には見えないけれどその力は大きい。

飲食、消耗品、医療はもちろん最重要だが、さらに「楽しみ」はストレスの軽減に繋がるし、何より笑う事で寿命が伸びてきたと私は考えている。

「幸せ」を感じなくなるとイザコザが増え、不満が爆発して気持ちが不安定になると殺伐として争いが始まる。

過去の歴史から学んでいる事なのに過ちを人はまた繰り返す。

まさに現在はその一歩手前まできている。

法律はこれらの生活安定が保証された上で成り立つ。この条件が満たされていないななら恐らく法律は無意味になる。つまり法を守るかわりの代償がなければ守る必要はない。

だから過去、暴動、戦争がおこり、疫病が流行れば治安の悪化が発生した。今はそのパニックの序章にすぎない。

山積みにされた問題を各専門科らが色々というのは良いと思うが、その境界を越えて統括すべき政治が機能していないのなら上手くいかないだろう。

誰の言う事もみんな正しく、そして間違っている。今は。

未来になって過去の今を見直した時、それは判断される。「あの時あーしていたら…」と誰かに批評されるのだろう。

しかし当時、現在進行途中の段階では全ての事がチャレンジで試されている。物語り風に言えば「神様からの試練」とでも表されそうだ。この困難に立ち向かい、乗り切れたら人間の存在が許される、なんて漫画になりそうだ。


こういう時、自分の意見が正しいと皆が言い始めたらまとまらないのは学級会と同じ事だ。世界も同じ。各国の首相が他の国を批判しても事は進まない。某大国のトップのように了見の狭さばかりを世に示しても悪化するだけである。むしろピンチをチャンスに変えて世界をまとめて、ウィルスのコントロールを早くに指導したら本当の意味で偉業を成したと人々に認められると思う。

経済は世界の連携をなくしては始まらない。わからない人には長くなるので細かくは伝えないが良くみの回りのことを考えて欲しい。食物は誰が作っているのか?原材料は?産地は?加工している場所は?販売している人は?流通方法は?考えてみて。沢山の人の力や知識、交通、流通などを経て一つ一つが私達の手元に届いている。

日本で全て賄えているものなどほとんどない。機械の部品、材料、生産すら海外に依存している。しかも多数の国を経由している。ならその一つでも止まってしまったらその製品は作られなくなる。他国の人々もまた同じ状況である。自給自足をして暮らしている人々以外は全てが多数の国で協力しあって生きている。それが高度な社会を構築している事に世界中の人々が気がつかなくては新型コロナウィルスとの共存は不可避である。


もっと言いたい事はあるけれど疲れたので今日の愚痴はここまで。

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