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見えない籠

「家族」って何だろう?

「自分に一番近いDNAを持っている」生物学的にはそう定義できる。

「自分の血、系統が繋がっている子孫」公的な証明ではそう定義できる。

「一緒に生活を共にする人」環境的にはそう証明できる。

でも父と母は別の家系。

その半分ずつを受け継いだ子供。

それは誰の複製でもなく新しい個人。

子供は生まれたくて生まれたんじゃない、という。

親も子も選べない。

でも「家族」なんだ。

絆って何だろう。

「家族」=「絆」

ではない気がする。

絆は血が繋がっていなくても「心」が繋がっていたら良いと思う。

家族であっても絆を結べない人はたくさんいる。

全ての家族の意見が合うとは限らない。

似通った遺伝子を持っているからと言って想いや感情、思考傾向は異なる。

今に限ったことではないけれど、日本人って結構家族の縛りに苦しんでいると思う。

伝統を重んじる。

家系を重んじる。

祖先を重んじる。

大切な事だと思うけれど、重んじる事と自分の意思・感情とは異なると思う。

家系だからこうしなくてはいけない。

でもそうしたくない。

いやいやでもこの家族に生まれたから私の人生はこうでなくてはならない。

家族・家系を継ぐことに反する事をしてはならない。

そう生きるのが当たり前だという。

当たり前は誰が作った?

普通とか当たり前とかという考えは普通ではない。

普通・当たり前は何を基準にしている?

所が変われば習慣や思考傾向も変わる。

みんな誰かの小さな枠に閉じ込められている。

そこから抜け出す勇気を持つ力があればいいのに。

嫌な気持ちを抱いたまま人生を終わらせるなんて自分が可哀想。

学校でいじめられている子も考えた方が良い。

「学校」の規則は小さな枠の中で守らなくてはいけない事。

その小さな社会で普通じゃないからいじめられるのは間違っている。

いじめている方が普通ではないのだから。

老若男女、みな我慢を強いられている。

見えない籠の中で。

その籠の中が居心地が良ければその中にいればいい。

でも我慢できない程辛いのなら破ってしまえばいい。

籠の中が例え安全だとしても、リスクを背負っても、自分の力で自分の責任で飛び出せばいい。守ってくれる保証がなくなったとしても、自分が自分を守るという固い決心の上で飛び出せばいい。自分の可能性を信じて。

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