命の大切さ、と一言で言ってもピンとくる人とこない人がいるでしょう。
命とは何だろう?
生きるとは何だろう?
個々の捉え方は千差万別だと思います。
これは口では伝えられない、継承できない感情だと私は思っています。
身近な人や存在、大切な命を失った人が初めて感じる感情。
経験してやっとわかる気持ち。
そして悲しみの形は無限に存在する事。
以前、演技のレッスンを受けていた時にこんなシーンがありました。
「夫を殺した罪で疑われる妻が取調室にて刑事に追及され、気丈にも答えていたが最後にポロリと涙を流す」
というものです。
年齢不問で泣けない人が多いのです。
私は初めからもう悲しみで一杯でセリフの途中から泣くモード全開になってなってしまっているのでそこをセーブした方が良い、と先生に言われました。
そのレッスンの後にある生徒さんが先生にきいていました。
「どうしたら泣けるのですか?」と。
その答えは
「感性の差かな」
「感性とはなんですか?」
「その人の人生における経験とか体験から感じた事だよ」
この時に思った事は自ら経験や体験をしていないから言葉では伝わらないのだと。
私が幼い頃は都内でもまだ荒れ地や空き地が多く、自然の生き物と当たり前に暮らしていました。色んな虫が家の中を歩いていて捕まえたり、刺されたりするのが日常でした。
もちろん実家は両親が開業していて獣医の家庭の中で育っていてので動物がいつもいるのが当たり前でした。
大切な動物達との出会いと別れを幼い頃から体験してきました。
新しい命が生まれてくる瞬間、消えていく命。
どんな風に生を受け、朽ちていくのかを見守るしかなったあの頃。
何もできない自分の不甲斐なさを毎日感じる少女期でした。
現在は衛生環境が恐ろしいまでに徹底され、生活環境は驚くべき進化を遂げ一般の人でも細菌やウイルス、寄生虫などを排除する事が正しいと思っているでしょう。
「きれい」=「良い事」
と思われがちですがそれは人間のエゴだと私は思います。
「汚い」=「悪い事」
ではない事を知らない今の子供たちの未来が怖いです。
命を失う事の大切さ。
「死」=「良くない事」
と簡単に決めつけない事です。
「死」に至るまでどんな経過を辿り、「死」を迎えた肉体はどうなるのか?
を知っているからこそ命を尊重しなくてはいけない事が分かるのです。
今の日本では身近な人を亡くしたり、大切な存在を失っていく場面に立ち会う機会が少なくなっています。
小さな生命も大きな生命もみんな一生懸命に命を全うしているのです。
それを奪っていく者はやはりその後に傷を背負わなくてはならないのです。
生きている命が目の前で消えていく。
その時にどう感じるかは人それぞれでしょうが、漫画やアニメ、ドラマ、映画、ゲームでもない実際の現場は美しいものではありません。
「ペットロス」
それは今までに経験したことのない悲しみ。
経緯は様々ですが初めて傍にいてくれた大切な仲間を失う衝撃に近いのだと思います。
昨日までいた場所にもういない・・・。
いつもの嬉しそうな顔が見られない・・・。
あのぬくもりに触れられない・・・。
失った感覚がいつまでも悲しみや後悔と共に胸の奥深くで渦巻いている感覚です。
しかし生きとし生けるもの、生まれてきた以上は誰にでも訪れるものです。
私にもあなたにもいつかは絶対に。
これは覆せない。
もし永遠に生きたとしたら苦しいでしょうね。
いつになったら終わるのかを考えると思います。
それを考えたら今生きている事が幸せと感じないでしょうか?
もしあなたが先に亡くなってしまい、あなたの大切なペットが一匹だけ取り残されてしまったらどうでしょう。誰にもお世話してもらえずに、どうにもできなくて餓死してしまったらそれこそ死んでから後悔が残ってしまうでしょう。
最期まで見送って、大切にしてもらったことを恨んだり後悔したりするでしょうか。
きっと最期まで居られて嬉しかったと思います。
私は誰かに悲しんでもらえるとは思ってはいませんが、もし私の死を辛く思う人がいてくれたら有難いと思うし必要以上に悲しんでほしくありません。
何故なら生かしてもらったこの世界と周囲の人々に感謝しているからです。
十分に生かしてもらった感謝しかありません。
悲しまれる位ならずっと忘れないでいて欲しいです。
別れは突然訪れるかもしれませんが残された人々はいつまでも悲しむよりは忘れないでいて欲しい・・・そんな風に感じているのではないでしょうか?
