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女赤軍から、適当なプライド人間へ


誰にでもあるプライド

 誰にだって他の人には譲れないプライドを

傷つけられたら辛いですよね。

それがずっとずっと長い間続けられたらどうでしょう?

私は両親にたくさんのルールで縛られ続けました。

いわゆる「禁止令」です。

・泣くことをすぐにやめなさい

・人から物を頂いてはいけません

・おとなしくしなさい

…などなど。

書き出したらキリがありません。

つまり幼少の頃には世間体をものすごく気にして「いつもいい子」を演じていなくてはいけませんでした。

私は幼児期に喘息を持っており体が弱く、いつも寝ていることが多かったひ弱な子供でした。

そのために同年代の子供たちと遊んだり、話したりする経験がありませんでした。

ある時、ワクチンを打ちにかかりつけの小児科に行った時の事。

母からいつも厳しく「何があっても泣いたら駄目よ」と言われていたので痛かったけれど泣かずに我慢していました。内科の先生は「これは驚いた。女赤軍並みだね」と我慢強さを褒められた?のでした。

それを聞いた母は当然のごとく鼻が高くて嬉しそうでした。

多分、そうやって我慢強くて辛抱していたら母が喜ぶから言われたとおりにふるまえるようにしていたのです。

今考えると実に恐ろしい事です。

大人になって子供を持ち、自分の感情を素直に出せる子供が正常な精神的発達なのに私は自分の感情、すなわち喜怒哀楽をうまく表せないまま大人になったのです。

「どんな辛い事があっても我慢できる」

それが私の唯一のプライドだったのです。

抑制された感情のまま大人になる恐ろしさ

無表情で頑固で嬉しいという感情を育てることなく大きくなった私。

年をとる毎に社会で出会う多くの人達に触れて違和感がありました。

馴染めているようで馴染めていないような感覚。

楽しいのか楽しくないのか?良く分からないまま思春期を両親の言いなりに過ごしてきたので10代での楽しい思い出はありません。

大学に入りもっと世界が広がってきて自分の中でやっと自我が目覚めました。

教養の授業で心理学と哲学の単位も取得したのですが私にはとても興味深い分野の勉強でした。

哲学の先生と心理学の先生は同じ方が教えて下さっていました。

その先生が最後のテストの返却時に私に「あなたはもったいないわ。」とおっしゃって下さったのが今でも印象に残っています。私の中では既に様々な体験と思考する事が通常であったため、知らず知らずのうちに哲学的思考に傾いていたようです。

一人の時間が長すぎて。

幼児期に他人と話すよりも自分の中で会話をすることが多かったからだと今は思います。

この頃まで、自分以外の人は信じられないという人間不信と協調性が全くなかったのはこのためだったのでしょう。

今は良く分かります。

過去の自分。現在の自分。

何がどうなって自分の人生を理解できるようになり、かたくなに守っていたプライドは一度捨ててしまった方が楽に生きられる、そして自分らしく生きられる事を理解しました。

適当なプライド。

とても大事だと思います。

私は何度も何度も信頼すべき家族や社会にプライドを打ち砕かれ続けて、悔しくて悔しくて生き辛さを感じ、そしてある日自分を壊してしまいました。

その狂気の沙汰、今も思い出すと手が震える時があります。

過呼吸にもなりました。

パニック障害です。

今は打ち砕かれたプライドとは適度に付き合っています。

無くても困るし、頑なに守り続けてもあまり良いことがないからです。

私は私。

全ての人に私という人間のプライドをかざす必要はないのです。

だから今の姿が一番自分らしさを取り戻せた形です。

今こうして生きていられる事。

もしかしたら同じように傷つき苦しんでいる方の味方になれるかもしれない・・・

結果がどうにもならないと思っても視点を変えたら見えなかった世界が見えてくるかもしれない。

それをお伝えできるようにしていきたいと思います。

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